精神の生態学 G.ベイトソン:著 佐藤良明:訳 <引用文>

序章 精神と秩序の科学

厳密には、”なまのデータというものは存在しない。すべての記録は、何らかのかたちで、人間が器具による編集と変換を受けたあとのものである。

そうは言っても、データが最も信頼のおける情報源であることに変わりはない。科学者はデータから出発し、データに立ち返っていくのでなくてはならない。

トートロジカルな真理と、経験に基づく一般法則との境界は、実は明瞭ではない。わたしのいう「基底の知」のなかには、まともな人間なら誰も「真」であることを疑わない命題でありながら、それが「経験的」なものか「トートロジカル」なものか容易に見定められないものが多いのだ。
P24-25


科学者はみな、「予想が立つ」ということに高い価値を置くのである。
p26

アメーバは食物の欠乏によって、一時的に行動を活性化するのだ。つまり、アメーバのエネルギー消費は、体内へのエネルギー流入と逆比例的な関係を示すのである。

結局のところ、エネルギーというのは、〈質量×速度の二乗〉以外の何ものでもないわけだ。”心的エネルギー”なるものが、そのような次元を持つと本気で主張する行動学者はいないだろう。
p28

エネルギーと質量保存の法則は、形式ではなく実体の世界にかかわるものだ。しかし精神プロセス、観念、コミュニケーション、組織化、差異化、パターン等々は、あくまでも実体ではなく形式に関わるものである。
p32


 第1篇 メタローグ

 物はなぜゴチャマゼになるのか

FATHER お前の思うゴチャマゼと、ほかの人の思うゴチャマゼとは、同じかな?
P38

F それぞれの物について「片付く場所」っていうのは、とってもとっても少ない・・・ 

F えーと、そうだ、なぜ物事は逆向きに起こらないかだ。パパが言おうとしていたのはだね、起こり方がたくさんあることは実際起こる。起こり方がたくさんあるということを示せば、そのことが起こる理由を言ったことになる。それはどうしてか、ということだ。

F 人間は希望的観測というのをする。こんなことが起こらないかなとね。そこへパパが出かけていってやる。残念ながら、そうはいきません。ほかに起こるかもしれないことが、こんなにたくさんあるじゃないですか、って。 間違いないんだなー、たくさんあるうちの一つが起こるほうが少ししかないうちの一つが起こるより多いということは。
P42-43

DAUGHTER パパってあれみたい。競馬の、何てったっけ、、
F 賭け元か?
D そう、そのカケモトみたい。あたしが賭けた馬以外の馬を、全部応援するんでしょ。
F その通り。みんなに、それぞれ「片づいている」って思う方へ賭けさせる。ゴチャマゼになってる方が、限りなくたくさんあると知っててね。で、物事はいつもゴチャマゼのマゼコゼへ向かっていく。
P44

 フランス人の手ぶり

D 面倒くさいのね。「怒ってない」って、口で言ってしまえばいいのに。それじゃいけないのかしら。
F そうなんだよ。そこなんだ。身ぶりで伝える情報と、それを言葉で言いなおしたものとは同じではない。そこがポイントだ。
・・・
D 書いた言葉は?
F だめだめ、書いた言葉にもリズムもあれば、響きもある。それは消せないよ。「ただの言葉」なんてものはないんだ。そこが肝心なところさ。言葉はいつも、身ぶりと口調に包まれている。しかし言葉を包んでいない身ぶりというのは ーー これは、どこにでもあるな。
P49-50

F 身ぶりと言葉、なんて分けるのが、だいたいナンセンスだ。「ただの言葉」なんてものはないんだから。構文とか文法とか、そういうのも全部ナンセンス。「ただの言葉」と言うものがあるという前提の上に、はじめて成り立つ概念だ。

D パパ?

F ーー全部最初っから考え直すんでなければだめだ。言葉ってものを、もっと大きく、身ぶりのシステムとして捉えなおすところから始めるんでなければ全然意味がない。 だって、動物は、身ぶりと口調しかないわけだ。「コトバ」ができたのは、ずーっとあとのはなしだよ。語学教師ができたのは、そのまたあとだ。

D パパ!

F なんだね。

D 言葉使うのやめて、またジェスチャーだけでお話しするようになったら、おもしろいでしょうね。

F ふむ。どうだろう。もちろんそれでは、会話にはならんだろうな。吠えたり、うなったり、泣いたり、笑ったり、手を振ったりしてるだけじゃ。 しかし面白そうだね。毎日がバレーになるわけだ。バレリーナが歌いながら踊ってるバレーにね。
P50-51

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 ゲームすること、マジメであること

F しかしゲームは本気でやるものだよ。マジメなものだ。
D ちがうわ。パパは本気じゃない。
F ズルしたい気にさえならないからか?
D そうね。

F 話していて楽しい方向に行っているということもあるけれど、それと同時に、話をしながら、頭のなかで新しい考えがまとまっていくということも起こっている。そのとき、考えが一度ゴチャゴチャになるってことに、大事な意味があるんじゃないかとパパは思うんだ。だって、もし二人の話がいつもスイスイ論理的にばかり進んでいたら、話が終わった時に、頭のなかがはじめと何も変わっていないことになるだろう? そういうんじゃ、あたらしい話はなにもできない。何百年も前から誰かが喋ってたのとおなじことを、オウムみたいに繰り返すしかなくなってしまう。言うこと全部がクリシェーだ。
D クリシェーって?
F クリシェーというのは、フランス語なんだが、もともとは印刷屋の言葉でね。印刷屋じゃアルファベットの活字を一つ一つ拾っていって、それを一本の棒のようにして文をつくっていくわけだが、よく使う文や語句は、最初から別に作っておくと便利だろう? そういうあらかじめ作ってある棒のことを、クリシェーというんだ。
P55-54


F 思考のコマ自体にルールが組み込まれているんだ。どのコマとどのコマが、お互いを支え合うか、どういう順番でのせていくとうまく思考が組み上がるのか。それは最初からだいたいのところ決まっているんだな。間違ったやりかたでアイデアを乗っけてしまうと、建物全体が崩れてしまうのさ。
P58

F しかし、トランプ・ゲームの外側にはどんなルールがあるんだろう。ルールを決めるときのルールのはどうなっているんだろう。
D …?

F パパとおまえの問答の目的は、その「ルール」を発見することにあるんだ。それが「生きる」ことなんだとパパは思う。生きることの目的は、「生きるゲーム」のルールを発見することにある。いつでも変わっていて、決して捉えることのできないルールをね。
P60

    1. 輪郭はなぜあるのか+

F 先のことを予測して動くことができるというのが動物の際立った特徴なんだ。ネコがネズミに飛びかかる時には、着地の瞬間にネズミがどこまで走っているかを予測を立てて、それに合わせてジャンプの仕方を調節する。そういう特別なことが動物にはできるんだ。 そしてだからこそ、逆に動物の動きが、この世で立った一つ本当に予測できないものになる…。 人間の法律というのも、妙なものだな。人間の動きに規則を押しはめて、予測できるようにしようっていうんだから。
p75

D 会話にも輪郭があるって言ったでしょう?
F あるともさ。 ただ終わらないうちは見えない。輪郭というのは、内側からは見えないもんなんだ。
P76

 
 人が白鳥になる理由

F 「舞台の上で一種の白鳥が踊っている」というときの「一種の」が、正確にどういう意味なのかは、パパにはわからない。しかし、その「一種の」という言葉によって結ばれている関係ーー「なぞらえ」の関係というかな、 ーー それが詩や空想やバレーや美術の全体がもっている意味や重要さに関わっている、ということはわかっている。
P80

F わかった。「一種の」という言葉の意味を分析すればいいんだな? ーー 「ペトルーシュカの人形は、一種の人間である」とパパが言うとき、パパは関係について述べている。いいね?
D 何と何の関係?
F 観念idea同士の関係だろう。

F あの白鳥は、本物の白鳥ではなくて、誰かが「なりすました」白鳥だね。ところがその、白鳥になりすましている人は「なりすましたのではない」人間だ。ウソッコの白鳥であるとともに、白いドレスを着たホントの女の人でもある。そしてホントの白鳥は、どこか若くて優雅な女の人の「よう」である。
D 今言った中のどれが聖体?
F まだダメかな。どれが聖体になるなんてことはないんだよ。一つじゃダメだ。全部がうまく結びついて聖体ができる。「なりすました」のと「なりすましたのでない」のと「ホント」と。それが、どうにか溶け合ってひとつの意味になる。ーそうとしかパパには言えない。
D ウソとホントを混ぜたりしたりしていいの?
F 論理学者や科学者はダメだというだろうね。でも彼らのやり方で、バレーが作れるわけじゃない。聖体もさ。
P84-85

 ★本能とは何か

DAUGHTER パパ、本能って何かしら?
FATHER 本能とはね、一つの説明原理さ。
P87

D ニュートンは重力を発見したんでしょ? リンゴが落ちるのを見て。
F そうじゃない。重力を発明したんだ。作ったのさ。
D ふーん。 じゃあ本能を発明した人もいるのね。だれ?
F 知らんな。

F ある点から先はもう説明しようとするのはやめましょう、という科学者同士の取り決めというかな、それが説明原理だよ。
P89

D 植物にも本能はあるかしら。
F いや、植物の話をしてる時に本能を持ち出したとしたら、その人は植物の世界を動物のイメージで汚染したことになる。
D それ、悪いことなの?
F ああ、すごくね。 植物学者が植物を動物のように見立てるのは、動物学者が動物を人間のように見立てるのと同じくらい悪いことだ。

D パパ「自己」ってなに? 犬も自己があるってこと知ってるの?
F さあ、どうだろう。でも、もし犬が自己というものを意識していて、その自己を保存するために体をくねらせるんだったら、それは知的な行動になるな。本能的なものではなく。
D じゃあ「自己保存本能」って矛盾してるじゃない。
F まあ、半分だけ、動物を人間に見立ててることになる。
D だったら、それ、悪いことよ。半分だけ。

D 神も説明原理なの?
F そうだとも。とても大きな説明原理だ。ひとつのブラックボックスでーーひとつの本能でーー説明がつくことを、ふたつブラックボックスを使って説明するのはうまくない。

F 本能にも大きなのと、小さなのがあるの。
F 実際そうであるかのような言い方がされている。 ただし小さな本能は「本能」という名前は使わずに、別の名前で呼ぶんだ。「反射」とか「生得的解発機構」とか「固定的動作パターン」とか。
D わかった 宇宙全体のことは神で説明して、もっと小さなことは、鬼や妖怪の仕業にするの。

D 客観的ってどういう意味?
F 自分で見ようと決めたものを、しっかり目を凝らして見るということだ。
P98

D パパ、動物も客観的になる?
F さあ、たぶん、ならんだろう。主観的にもならんと思うよ。そういうふうには分かれてないんだと思う。
P100

★F 人間の中に住む「知能と言葉と道具の生き物」の内側で、「目的」というものが湧いてくる。道具を持つというのは、もう目的を持つことと同じだし。そして目的ができると同時に、その目的を邪魔するものもできる。客観的に生きるものにとって、世界は「助けになる」ものと「邪魔になる」ものとに二分されるんだ。

D うん。それはわかる。

F つぎに、この生き物が、自分の中に出来た分裂を、人間全体にとっての世界に押しあてるということがおこる。 すると、ただ「助けになる」、「邪魔になる」というだけだったものが、「善」と「悪」というふうに捉えられてくる。 世界が「神」の側と「悪魔」の側とに2分されるわけだ。それからあとは、もう分裂の一方さ。知性の仕事は、物事をどんどん区分けして整理していくことだからね。
P102-103